法律事務所で働いて気づいたこと
ずいぶん前だけど法律事務所で事務の仕事していたことがある。
裁判に使う書類をそろえたり裁判所に書類を出しに行ったりする雑用仕事だったけど、考えさせられるようなことが時々あった。まあ場所柄、悩みやトラブルを抱えている人が来る場所だからね。
今回はこの仕事をやっていた時に感じたエピソードのうち2つを紹介したい。
その1:書は人なり
書は人なりっていうことわざ、聞いたことありませんか?
本来の意味はよく分からないけど、「字が綺麗な人は心や行いも正しく立派」みたいな意味なのかなと思ってる。
でも法律事務所で働いてからは、文字と品行に関連性はないと思うようになった。
弁護士の元には拘置所にいる人から手紙が来ることがある。面会の際に持ってきてほしいものとか、謝罪の文章とか内容はまちまち。
それが裁判の証拠に使われたりすることもあるので処分せずにファイルしておくんだけど、ものすごく悪筆な人もいる反面、綺麗な字を書く人も少なくなかった。
中には見とれるほど達者な字を書く人もいた。今でも覚えているのがある詐欺の容疑で拘留されていた人の手紙。
キリっと整ったすばらしい字。字だけで想像するならそれこそ実直な紳士という印象だった。
だけどそれが異様に長い。手紙は毎回分厚い封筒で届いた。
便箋何枚にもわたりびっしりと手書きで書かれた見事な文字は、なんとも言えない感じがした。
その2:借金の額を知らない
借金がかさんで返済できなくなった人が破産の手続きをするために事務所に訪れる。
その際にカードの明細や通帳を持ってきてもらうんだけど、大概いくつもの場所からお金を借りている。5か所は当たり前、事業をやっている人だと十数か所になることもある。
そうなるともう借金がいくらがあるのかすら把握できてない感じだった。
手続きの為に、お金を借り始めてから今に至るまでのいきさつを文書にするのだけど、ある種の人たちはお金を使うことにためらいがない傾向が見受けられた。それは羽振りが良い時、悪い時に関係なく。
いくら使ったとか、ほとんど気にしないんだろうなと思った。
それまで僕は収支をつける習慣がなかったのだけど、その頃から毎月使った金額だけはちゃんと記録するようにした。
支出に無自覚なのは破産の一歩。
逆に使った金額を把握するとがお金をうまく使いこなす一歩になる。収入を増やしたり節約したりはそれが苦にならなくなってからでも遅くはないだろう。
その考えは今でも間違っていないと思っている。
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こうやってあらためて文章にすると大したことなさすぎてちょっと恥ずかしい。
でも当時は「すごいことに気がついちゃった!」っていう感動があったんだよなー。