食べ物の「おいしい」と「味わい」ってちょっと違うよね。
以前、年上の知り合いとラーメンを一緒に食べた時のこと。
ラーメンはこってりした家系、肉厚のチャーシューがとてもおいしかった。
食べ終わって店を出たとき、知り合いに「おいしかったですね」と声を掛けると「おう」と答えたものの、「でもちょっとおいしすぎるんだよなぁ」とぼそっと言った。
ん?おいしすぎるっていうのはダメなの?
僕にはその時の「おいしすぎる」の意味がわからなかった。
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先日コンビニで「たべっ子どうぶつ 厚焼きチョコビスケット」というのを見つけた。
たべっ子どうぶつなんて食べたの、いつぶりだろう。
小さいころは親が買ってきてくれて、それをよく食べていた。
封を開けてみるとたしかに普通のよりふっくらとして厚めのビスケットだった。裏側にチョコレートのコーティングがされている。
味は普通のやつに比べて塩味とバターの風味がおさえられている。
おいしい。
でもちょっと複雑な気分になった。
おいしいんだけど…。
この時、知り合いの「おいしすぎる」という言葉を思い出し、何となく意味がわかった。
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食べ物はおいしいに越したことがない。
だからもっとおいしくしようと試行錯誤が繰り返され、それとともに味や食べるスタイルが進化していく。
それは本当に素晴らしいことだと思う。
でも皮肉というか難しいところなんだけど、あまりに改良がすすむと味に限らずその料理が元々もっていた背景のようなもの…つまり「味わい」のようなものが薄まっていくこともあるんじゃないかな?
先の知り合いの場合のラーメンがそうだ。
彼がよく食べていた頃のラーメンは今よりもっと粗末で、単純で、ジャンクだったんじゃないかと思う。食べる方もそうゆうものとして食べていた筈だ。
それに比べると僕と一緒に食べたラーメンは隙がなく味も複雑になって、もはや何か別の料理ぐらいに思えたのかもしれない。
それを懐古的とか保守的といわれてしまえばそれまでなんだけど、それで割り切れないような部分も一理ある気がする。
今はうまく言葉にできないけど。
何はともあれエビせんべいみたいに平べったい、普通のたべっ子どうぶつが食べたくなった。