陶芸作家のカップ2500円、セリアのカップ100円

2017/01/26


このあいだ雑貨屋さんでカップを買った。手にしっくり馴染んで大きさもちょうどいい。陶芸作家が作ったもので2500円だった。

で、昨日セリアをウロウロしてたらコーヒーカップの前で足が止まった。これが100円か。

うーん、と思う。

話は変わり、おととい女性下着のオンラインショップを見た。(たまたまであり他意はない)

高いものだとセットで1万5000円以上した。僕のコートとほぼ同じ値段だ。

このちっちゃい布が僕のコートと…

いや、わかってる。そうゆう問題じゃないってことは。

陶芸作家のカップがセリアより25倍使いやすいわけじゃないし、「この下着の生地量だったら僕のコートで10セットぐらい作れるぞ」とか考えたって意味がない。わかってるわかってる。

でもふとした時に感じる割り切れない気持ちはなんだろうか。

たぶん自信がないんだと思う。自分の審美眼みたいなものに。そこが揺るがなければ値段や物量なんかで動揺したりなんかしないはずだ。

自分の中に揺るぎない基準を持っている人がうらやましい。

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そうゆう点から見るとうちの母は自分の物差しがしっかりしている方だと思う。

以前、母から石をもらったことがあった。

母は家庭菜園をしているのだが、土を掘り起こしていたら平べったい石が出てきたという。「これは縄文時代の人が使っていた石器に違いないわ」と僕にくれた。僕が小さい頃から考古学とか好きなので、母は喜ぶと思ったらしい。

「好きでしょ?こうゆうの」

特に考古学に詳しい人に見てもらったわけじゃない。でも母の中ではもうこの石が「縄文人が使った石器」ということになっていた。他人の評価は関係ない、自分がそう思ったらそうなんだ。そうゆう確固たる自信のようなものがそのときの母から感じられた。わが母ながら誇らしい。

でも、あわよくばそうゆう自信は僕じゃなくて自分に向けてほしかった。これ、どうしろっていうのさ。

この石がまた結構でかいんだわ。


-考えたこと