ハリスツイード


いつも散らかっていることに定評のあるうちの父のパソコン机だが、先日、その机の上に似つかわしいものを見つけた。

ハリスツイードのポーチだ。

え?父がハリスツイード?と思った。たしかハリスツイードはスコットランドの工芸品か何かで、昔は貴族なんかがハットやジャケットの生地として愛用していたはずだ。そんな上質なものをうちの父が好んで買うだろうか。

調べてみたら最近ハリスツイードの生地で作った製品があふれているらしい。しまむらとかダイソーで売っているのだとか。

なんというか、物の価値って不思議だなと思った。

いくら良いものでも売れなければ意味がない。でも見境なく売ることで物がまとっているオーラみたいなものも薄れてしまうのもまた事実。

学生の頃、仲のいいバイトの先輩が「ドンキでヴィトンを買う人の気が知れない」と言っていたのを思い出した。

「ヴィトンみたいなブランド品はそのブランドの店に行って買うことに価値がある。安くバッグを買いたいならアディダスでいいだろ」みたいなことを言っていた。

それを聞いた僕は「ホント先輩って性格悪いっすね」とか言って深く考えずに笑っていただけだったが、今ならその先輩が言おうとしていたことがわかる。ブランド品は物の価値だけじゃなくて、そのブランドの持っている雰囲気やスタンスを物を通して自分の中に取り込むことにも価値があるというか、要は気構えの問題なのだ。

一方で、父は明らかにそんなこと考えながらハリスツイードのポーチは買っていない。使いやすそうだから買ったはずだ。物として一番本質的な部分を評価されて選ばれたわけだから、やはりこのポーチは良いものということになる。とはいえ、もしハリスツイードの人が父の机に置かれたポーチを見かけたらちょっと苦笑いしそうな気もする。

ちなみにその下にある水色の筆箱は僕が昔、近所のさとう文具店で買ったものだ。小学3年生ぐらいだったと思う。ということはもう四半世紀以上経ってもまだ使われているということになる。

ほんと、物の価値って不思議だ。


-考えたこと