カッコだけに憧れてしまう

2016/03/28


大学生の頃、好きだった経営学の先生がいました。

少し前にピーター・ドラッガーが流行りましたが、僕が初めてドラッガーの名前を知ったのは先生の授業でした。先生が熱く語るマネジメントの話は人間論のようでとても魅力的でした。

先生にはいくつか持ちネタみたいのがありました。ひとつに「最近の若者は整髪料で髪の毛をツンツンさせてる」というものです。

「最近の若者は整髪料で髪の毛をツンツンさせてる。あんなのはカッコだけ。整髪料なんかつけなくても怒ればいいんですよ。怒れば自然に髪の毛は逆立つんだから。怒りなさい。」

そう言うと先生は前に座ってる学生に「怒れ怒れ」とけしかけたりしていました。

そして「まあ私の場合はどんなに怒っても立つほど残ってないけど」と言って薄くなった自分の頭をさするのです。その時は「先生、また無茶苦茶なこといってるな」とただ笑っていました。

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なぜこんなことを思い出したかというと、この記事を読んだからです。

僕もこの質問者さんと同じように「コンセプトカーのデザインで何故売らないのだろう?」といつも思っていました。こんな事情も知らずにただコンセプトカーと市販車をならべて「もっとかっこ良くできないもんかなあ」と思っていたなんて恥ずかしいです。

とくに下のくだりは車に限らずいろんな場面で思い当たります。

コンセプトカーより市販モデルがカッコ悪いと感じたら、それはデザインがまだ甘い、ということでもあります。

単にスリークにしたり、単に全高を低く横幅を広くしたり、つまりは単に速そうなフォルムにするだけで、クルマはカッコよく見えるのです。

(中略)

真にすばらしいデザインは、機能を満たした上で美しいのです。

確かにその通りだと思います。

かっこいいもの、見た目がいいものには方式みたいなものがあります。他の事情に関係なくその方式をなぞることができるなら、見栄えを良くするのはそれほど難しくないでしょう。

でもそれによって、その形に至った意味や本来持つべき機能が抜け落ちてしまったら逆に格好悪いどころか話になりません。それこそ「エンジンが積めないクルマ」と一緒です。

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最初に話した大学時代の先生は、反骨心や怒りがなさそうなのに髪の毛だけが逆立っている僕らの髪型を本気で滑稽だと思っていたのでしょう。


-考えたこと